2011年7月14日木曜日

尾崎 翠フォーラムにて

 遅れてしまったが、7月10日に【第11回 尾崎 翠フォーラム】が午後13時半より開催された。
今回は翠の生まれた、鳥取県岩美郡岩美町の中央公民館が会場となった。
会場には約400名を超えるくらいだろうか、主催者の発表がないから正確にはわからないが集まっていた。
その日は朝からかんかん照りで、外はおそらく35度超えているだろう、太陽光線が痛いくらいに感じた、会場は冷房が良く効いていて外に出るのがおっくうになってしまう程だ。

たしか彼女は、昭和47年(1971)に74歳で病没しているから、もう没後40年になるのだ。
翠と小生の出会いは、もう50数年前くらいになるかな、一番古い記憶としては、翠が60前後で小生がまだ4歳から5歳くらいだろうと思うが、たしかに会っているのだが、幼すぎて記憶ははっきりとはしない。
ただちょっと派手な着物を着ているおばさんだなくらいしか思い出せない。
顔とか髪型、声などはまったく記憶がないので、もう少し話などしていたら、もう少し鮮明に記憶できてるだろうと思うのだが。
こんな天才的な女流作家とは、幼すぎる小生には理解できるはずもなく、今から思えば実に残念だ。
彼女が生まれたのは、大正時代の初期、翠の母親の生家、岩美町岩井の浄土真宗【西法寺】である。
父がお寺の近くにある【岩井尋常小学校】の校長であったため、間借りしていたらしい。
小生の家は代々、この西法寺を菩提寺としている。
この関係で、小生も祖父に連れられてよく参って来ていたらしい。
祖父はお寺の事には大変熱心で、何かに付けてお寺に赴いていたから総代かそれに近い役をしていたのかもしれない。
お経も当時の住職よりも上手だった、子供心にその上手なお経を覚えている。
お寺に参って、たびたび翠に出会っているらしいのだが、よく覚えていない。
ただ、お経の意味など判るはずもなく、読経が始まると本堂の中を歩き回って遊んでいた。
祖父がお寺の用が済むまで、翠が生まれた部屋でよく昼寝をしていた事は覚えている。
さて小生も当時の翠と同じ年齢となり、お寺の手伝いもするようになった。
彼女はどんな思いで寺に参ってきたのであろうかと、そんなこと考えながら、フォーラムでのゲストの講演を聞いていた。
さて終了して帰ろうかと立ち上がり後ろを振り向いてみたら、なんと10メートルくらい右斜め後ろの席に【西法寺】の住職と、【養源寺】の住職が並んで座っていた。
【養源寺】も同じ宗派であり、現住職の祖父は翠の実の弟であり、彼が彼女の墓を守っている。
翠の直系でもあり、ありしの彼女を知る残り少ない人物になっている。
翠関係の催しでは講演の依頼もよくあるとか、フォーラムになると特に多忙であるらしい。
さて、いつのまにか日付が代わっている事に気がついた。
今日は、お寺の用で住職と一緒にある会議に出席しなければならない。
遅いからこれで寝ようと思う。

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